アッシジにて

山上に位置するP市からアッシジは近いので六時の初発パスがある。夏とはいえ山上の街は少し膚寒くてまた暗い。乗客はいつも私一人で好都合、車内は貸切パスのかたちで四肢を伸ばして、悠然とウムブリヤの山野をまどろんで終点に着く頃は夜が明けて、さわやかな朝の空気を深呼吸して下車。公園の林の中では朝市が聞かれたところで、地元の買出しがてんでに手篭をさげて集ってくる。新鮮な野菜や果物、はては日曜雑貨、品数は揃って活気づく田舎の市は部びた風情。
ふと山上に目を移すとロ1マ時代からの古城が映る。ロッカ・マヂヨーレ(ROCCA MAGGORE)の城塞が街全体を守護神然と見下している。荒廃した古城は痛々しい姿だが朝日を受けると蘇る。城門がキラリと輝いて中空に浮ぶ瞬間は、何にも誓えられぬ神々しさである。
幾世紀にわたって太陽は、この古城に慰めの光をあててきた。その感謝に応えて城は息を吹きかえして、今日まで生きのびられたに違いない。両者に心の通いがあった筈だと夢想する。
アッシジの地名が世界の注目を浴びるようになったのは中世の末期、十三世紀以後である。この地に生れ、清貧の生活に熱烈な求道精神を貫いた聖ブランチェスコの没年(三一二六)後に墓の上に建てられた聖堂で、その名のつく寺院。この内部の壁画は、ヂオットの小鳥に説教する聖人の図で、あまねく知られたフレスコ画がある。この他にヂオッ卜一派のチマブエの作品で埋った一大画廊の観である。やがて、後年のルネッサンスはこれに続く関係で、美術史上に注目される所以である。
ところで、壁画修復の作業はむつかしい技術である。殊にフレスコ画では原画の姿を残すのは至難と聞く。先述のヂオットの「小鳥に説教の聖人図」は、よく知られた作品だけにこの寺院の看板でもある関係で、絶えず補筆加筆とあせり過ぎた結果が、改悪ではとり返しのつかぬ事態である。原画の幽幻味は消失して文字通りの幻滅である。

元へ戻って山上の古城祉を尋ねんと、民家のはずれの長い石段を踏んでようやく草原の頂上に出た。
吹く風が心地よく感じられて汗を忘れる。前は大きな城門で逗しい門番が制服姿で控えている。入場無料と聞いていたが、先をゆく人がチップの小銭を渡したようなので、私は子持ちの紙巻買の一函を渡すとグラッツェと微笑を返したので、安心して大門をくぐる。
古い煉瓦を積み上げた土塀が長く続いて、その陰に入ると冷んやりとまことに涼しい。二、三人の先客がその陰に足を投げ出して憩っている。山上の風は下界とちがって格別快く、疲れも暑さも忘れてしまう。土地の人かと聞くとBALIと応えたので、随分南方からと感心する。一服して先へ進むと、石で築いた城の戦闘装備が判り、銃口から覗く下界は遥か前方の山なみ。
どこからか異臭が匂ってくる。城門の暗がりに光る水たまり。これでは入場料どころでない。予算がないので復元工事どころか管理も出来ない様子で、この古城も亡びるままに哀れな運命にあるわけだ。
とにかく城というものは、遠望がよくて近よって期待外れと惨敗の気持で外へ出た。悪いことは重なるものであった。
街へ入ると石段の邸に貸部屋の広告が目にとまった。明日もう一度来ねばならぬ関係からP市へ戻ってまた早朝の出直しより、ここで一泊するのも悪くはないと思って、その邸の石段を上ってベルを押してみた。中年の婦人が現われたので交渉すると、一泊の宿泊代はペンションの半額でべらぼうに安い。安い物には飛びつく貧乏性で部屋も見ずに話だけで前金を支払ったが、これは分別のないことであった。
それではと適されたのは硝子張りの部屋であったので、サンルームか温室で空き室利用の算段と考えた。折からの西陽がさして暑い。よく見ると窓がない。そしてベッドも見当らぬ。こりゃ大変とふき出る汗をふく。俄かに暑さを感じだした。安物買いは何とかの諺を思い出す。
他の部屋へ代えて貰えないか、第一窓がない。暑い暑いと婦人を呼んで詰った。
その時である。さっと身を翻すと再び現われた時は、形相が一変してヒステリックな鬼女に変貌して、先刻までの笑顔は嘘のよう。この豹変ぶりは喜怒哀楽に激しいイタリー人のタイプと察した。パスポートに紙幣を握って震え狂う有様に、私は角力の押出しそのままに押出されて大黒星。話にならぬ惨敗の元はと言えば私の思慮不足による次第で、安かろうは悪かろうであった。
やはりP市の下宿へ帰って出直しをした方が良かったとパスの停留所へ来てみたら、今最終が出たところであった。前方は立派なホテルである。
思い切ってここにしようと決心した。カウンターの支配人は素早く私の脚元を見たとみえ、ここは高いぞと切り出した。宿泊料は高い代りに風日は立派で泳げるぐらい大きいぞ、と妙な自慢をして抜手で泳ぐ形をして見せる。イタリー人によくある剰軽型の男であった。
先刻は安いので飛びついた末が失敗だったが、今度は最初から高いぞの宣言であるが驚かない。幸いに金は持っていたから心強い。オーケーで支払ったがペンションの約二倍の料金。
今日は汗をかいたので久々の入浴を期待して風呂場を覗くと、なるほどでかい浴槽で湯の出も威勢がいい。支配人の宣伝文句に偽りなし、すっかり疲れて泳ぐ元気は無かったが、四肢を伸して湯に浸る気分は最高、ついでにこの時とばかり下着と下帯の洗濯まで大いに利用した。
考えてみると、貧すりゃどんするの誓え通り。ケチケチ根性と縁を切ることを考えた。殿様や王侯は無理だが、貧乏貴族位にはなれぬ事があるまい。豊かな心を持たねばならぬと密かに念願した次第である。

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